マリアナ沖海戦とは? |
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1943年2月、日本のガダルカナル島からの撤退が終わると、アメリカ側では、
作戦の最終段階として、日本本土への空襲が取り上げられました。
アメリカ軍の新兵器、B-29長距離爆撃機が完成したからです。
その機能は高度1万メートルという高高度を飛べ、5トンの爆弾を積む事ができ、
5600kmもの距離を飛べるという非常に高性能な爆撃機でした。
アメリカ軍は日本列島から2500キロの距離にあるマリアナ諸島に飛行場を作り、
日本本土空襲を実行する為、大艦隊を率いてマリアナ攻略に乗り出したのです。
1944年6月、レイモンド・エイムズ・スプルーアンス大将を攻略軍の総指揮官として、
大型空母8隻を基幹とする艦艇総数775隻の大艦隊はマリアナ諸島にある
サイパン島を目指しました。それに対して小沢治三郎中将が指揮する
空母9、戦艦7、重巡11、軽巡3、駆逐艦32など計73隻、母艦機450機の
連合艦隊は、敗戦に続く日本海軍の態勢挽回を一挙にはかるべく出撃
しました。「皇国の興廃、この一戦にあり」の決意の下に、タウイタウイ島から
サイパンに向かったのです。小沢治三郎中将はミッドウェー海戦での敗戦を踏まえ
日本の戦闘機の特徴を活かした戦法を考えていました。日本の艦載機の
行動半径は480km以上だったのに対して、アメリカ軍の艦載機の行動半径は
320km程度だったので、アウトレンジから一方的に艦隊へ攻撃を加えようと
していたのです。1944年6月19日、6時半頃にアメリカの大艦隊を発見した
日本軍は7時25分に空母「千歳」、「千代田」、「瑞鳳」から前衛の部隊として
64機(零戦14機、爆装した零戦43機、天山7機)と、7時45分に甲部隊
(空母「大鳳」、「翔鶴」、「瑞鶴」)から128機(零戦48機、彗星53機、天山29機)
の第一次、第二次攻撃隊を発進させました。日本の攻撃隊の動きをレーダーで
捉えたマーク・ミッチャー中将が指揮する第58機動部隊は、
使用可能の450機の戦闘機を舞い上がらせました。電波指令機を持つ、
アメリカ最新の戦闘機:F6F(ヘルキャット機)は日本の攻撃隊を探り当て、
丸でハゲタカのように舞い降り日本機を襲い、次々に撃墜しました。
さらに、かろうじてアメリカ機動部隊上空に達した日本軍機は目標の至近で
爆発する新兵器のマジックヒューズ弾で的確に狙われ壊滅しました。
アメリカのパイロットたちが「マリアナの七面鳥撃ち」と言ったのは、この時の事でした。
また、この時、米潜水艦アルバコア・カヴァラの魚雷を受け、空母「翔鶴」、
「大鳳」が撃沈されました。こうして、日本軍は6月19日だけで、
193機の戦闘機、空母大鳳、翔鶴を失いました。それに対して日本側の戦果は
撃墜17機、戦艦サウスダコタほか5艦を小破させただけでした。
6月20日15時40分、日本の艦隊を発見したマーク・ミッチャー中将は
追い討ちをかけるべく、帰還が夜になってしまうことを覚悟の上で216機
(F6F戦闘機85機、SB2C急降下爆撃機51機、SBD急降下爆撃機26機、
TBF雷撃機54機)の攻撃隊を出撃させ、空母「飛鷹」が沈没、
他の空母「瑞鶴」、「隼鷹」、「千代田」に直撃弾を浴びせ、給油艦2隻も
航行不能とさせました。しかし、この戦闘で米攻撃隊は20機が撃墜され、
ほかに80機が燃料切れの不時着や着艦失敗で失われた。
6月20日19時40分頃、連合艦隊長官豊田副武大将から離脱が命じられ
日本軍は大きな戦果を得られないまま、撤退しました。
この戦いで空母の艦載機439機中404機を失った日本軍機動部隊は
事実上、壊滅しました。また、マリアナ諸島の制海権、制空権を失った為、
B-29長距離爆撃機による本土空襲を許す事となってしまい、日本の敗戦は
決定的となりました。
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第1話:太平洋戦争の原因(開戦の経緯)
補足:日本軍(旧日本軍)の階級・組織をまとめてみた
第2話:真珠湾攻撃(ハワイ奇襲)とは?
第3話:マレー作戦(マレー・シンガポール進攻作戦)とは?
第4話:香港の戦い(香港攻略・C作戦)とは?
第5話:マレー沖海戦とは?
第6話:珊瑚海海戦とは?
第7話:ミッドウェイ海戦とは?(敗因)
第8話:前編:ガダルカナル島の戦いとは?(第一次ソロモン海戦)
第9話:後編:ガダルカナル島の戦いとは?(第二次ソロモン海戦)
第10話:マリアナ沖海戦とは?
第11話:レイテ沖海戦とは?[神風特攻隊(特別攻撃隊)の誕生]
第12話:硫黄島の戦いとは?
第13話:沖縄戦(沖縄の戦い)とは?
第14話:日本本土空襲とは?
第15話:日本の降伏(ポツダム宣言受諾)とは? |
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