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マレー作戦(マレー・シンガポール進攻作戦)とは?

日本は真珠湾攻撃によって、アメリカの機動部隊の動きを止めると同時に、

石油や天然ガス、ゴムなどの豊富な天然資源を持つ

オランダ領東インド(現インドネシア)の資源地帯(南方資源)を確保する作戦

計画していました。(三国同盟国であるドイツからもイギリスの資源補給線である

インド洋を抑える意味などから日本軍による攻略を切望されていました。)

ただ、南方資源を確保するには、手前に立ちはだかるイギリスの

植民地であるマレー半島およびシンガポールを攻略する必要がありました。

1941年12月2日、中国南端の海南島三亜港に停泊中の山下奉文中将指揮

する第25軍(第5師団、第18師団を中心とする約3万5千人)に対して、

南方軍総司令官(寺内寿一)より、「ヒノデハヤマガタ」という暗号文が届きました。

この暗号文は12月8日に日本海軍が、ハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を奇襲し

陸軍もマレー半島を縦断してイギリスの誇る大要塞シンガポールを攻略する

という大作戦の実施を意味していまいた。日本はアメリカ・イギリスの2大大国

に対して同時に奇襲・宣戦布告
をしようとしていたのです。

ただ、マレー半島は「東洋のジブラルタル」として知られ、ジブラルタル海峡を望む

良港を持ち、半島の大半は岩山(ザ・ロック)が占めている事から難攻不落の要塞

として知られていました。また、マレー半島沖は新造戦艦プリンス・オブ・ウェールズ

レパルスを基幹とし、アジア太平洋地域とインド洋一帯を確保せんとした

イギリス東洋艦隊の根拠地でもありました。そこで、山下奉文中将

比較的防御力の弱い背後からマレー半島(シンガポール)を攻略する作戦を

立てました。敵の目をくらますためにタイに向かうと見せかけ一気に

進路を変え、シンゴラパタニコタバルの三地点に分かれて上陸し、

2つに分れて進撃するというプランを立てたのです。イギリス軍の兵力:約8万5千

対して、日本軍は約3万5千しかなく、進撃途上に250以上の橋があり、

移動距離も1,100kmにもなり、また、3月10日の陸軍記念日までに陥落

させるようにとの指示が出ていた(英米軍が航空兵力を増強して反撃に出てくる

ことが予想されていた)事から山下奉文中将は全軍に対して

シンガポール目指して、「一歩も引かずに、とにかく突撃」命令を出しました。

1941年12月8日午前1時30分(日本時間)、佗美浩少将率いる第18師団

佗美支隊がマレー半島北端のコタバルへ上陸作戦を開始しました。
(アメリカ領ハワイの真珠湾攻撃より1時間20分前でした。)

また、山下中将の率いる第25軍先遣部隊はシンゴラへ無血上陸に成功しました。

さらに、12月10日には、日本海軍の陸攻隊がイギリス東洋艦隊の

主力艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈、制海権・制空権を手に入れ

日本軍のマレー攻略作戦を有利にしました。

その頃、イギリス極東軍司令部では、オーストラリア軍の

第8師団長であるゴードン・ベネット少将とイギリス極東軍司令官、

アーサー・パーシバル中将との間で口論が繰り広げられていました。

ゴードン・ベネット少将は、イギリス軍の兵力の集中を繰り返し呼びかけ

ましたが、アーサー・パーシバル中将は日本軍の進撃に対しても楽観的な

考えを持ち、マレー半島最南端のジョホールバルに到達するまでは

6ヶ月以上かかり、その頃にはイギリスの増援軍で溢れかえっているはずだ

との考えを持っていました。しかし、その後も日本の進撃は止まらず、

英印軍第6、第15旅団からなる兵力6,000、装甲車90両からなる

ジットラ・ラインも佐伯中佐の指揮する特別挺進隊(九七式中戦車10両・

九五式軽戦車2両を装備する戦車第1連隊第3中隊から成る)が

わずか1日でジットラ・ラインを突破しました。そして、日本軍は1月31日

にマレー半島南端のジョホール・バルに到達しました。上陸から55日間で

1,100キロもの距離を進撃したのです。だた、ここまでの進撃により

日本軍は疲労の色が濃くなり、砲弾も必要量の3分の2となっていました。

シンガポール島には7万の敵、500以上の火砲があると推定されていた為、

要塞地帯のある北東岸からの上陸を避け、湿地帯である北西岸から一気に上陸し、

ブキテマ高地を確保し、イギリス軍の降伏を迫る作戦を立てました。

その頃、イギリス極東軍司令部では、イギリス極東軍司令官である

アーサー・パーシバル中将とマレー総督であるダフ・クーパー、

オーストラリア軍第8師団長であるゴードン・ベネット少将の間で作戦会議が行われ

ていました。クーパー総督、ベネット師団長は兵力を集中させ、日本軍を

迎撃する事を提案しましたが、アーサー・パーシバル中将は市民に動揺が及ぶ事を

嫌った為、「兵士に対しては何も指示を出さない」という考えを述べました。

また、北西岸は密林地帯・湿地帯の為、日本軍がそこから上陸する事はない

という非常な楽観的な考えを持っていました。

その為、日本軍からの上陸を簡単に許してしまい、2月12日にはシンガポール

の要塞拠点であるブキテマ高地を占領されてしまいました。そして、

水源が日本軍により破壊され、上下水ともに給水が停止した事もあり、

2月15日にはアーサー・パーシバル中将は無条件降伏を受け入れました。
(この作戦により日本軍約3,506人、イギリス軍約10,000人の戦死者
が出ました。)

この作戦により、イギリスのアジア植民地支配の転換点となり、「植民地帝国」として

のイギリスの崩壊を決定づけました。結果、マレー半島一帯は1957年にマラヤ連邦

としてイギリスから独立
する事となるのです。
第1話:太平洋戦争の原因(開戦の経緯)

補足:日本軍(旧日本軍)の階級・組織をまとめてみた

第2話:真珠湾攻撃(ハワイ奇襲)とは?

第3話:マレー作戦(マレー・シンガポール進攻作戦)とは?

第4話:香港の戦い(香港攻略・C作戦)とは?

第5話:マレー沖海戦とは?

第6話:珊瑚海海戦とは?

第7話:ミッドウェイ海戦とは?(敗因)

第8話:前編:ガダルカナル島の戦いとは?(第一次ソロモン海戦)

第9話:後編:ガダルカナル島の戦いとは?(第二次ソロモン海戦)

第10話:マリアナ沖海戦とは?

第11話:レイテ沖海戦とは?[神風特攻隊(特別攻撃隊)の誕生]

第12話:硫黄島の戦いとは?

第13話:沖縄戦(沖縄の戦い)とは?

第14話:日本本土空襲とは?

第15話:日本の降伏(ポツダム宣言受諾)とは?
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