マレー沖海戦とは? |
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1941年12月8日、マレー作戦(マレー・シンガポール進攻作戦)が開始され、
日本軍はマレー半島のシンゴラ・パタニ・コタバルの三地点に分かれて上陸
しました。この上陸によって、イギリス海軍の東洋艦隊の最新戦艦である
「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」が日本軍の海からの補給を
断ちに来る事は明白でした。こうして日本軍はマレー沖でイギリス海軍の東洋艦隊
と撃滅する事を計画しました。ただ、プリンス・オブ・ウェールズは、
大西洋においてドイツの戦艦ビスマルクの攻撃に屈せず、浮沈戦艦の
勇名を轟かせた最新式戦艦で3万5千トン、速力28.5ノット、35センチ砲10門、
13センチ高角砲16門、ポムポム砲と呼ばれる8連装対空砲(毎分6千発)、
2連装の機関砲も多数装備しておりました。また、巡洋戦艦「レパルス」も
同程度の装備をしており、戦艦の沈没はありえないと信じて疑いませんでした。
それに対して日本軍は、イギリス海軍の東洋艦隊がシンガポールからまっすぐ
北へ北上できないようにアナンバス諸島の西の海に機雷を沈め、
アランバス諸島の東の海域には潜水艦を待機させていました。
1941年12月8日、日本軍がマレー半島東海岸へ上陸開始との情報を
受けたイギリス東洋艦隊司令長官:サー・トム・フィリップス大将は、
は空軍の掩護の下に奇襲をかけ、日本艦隊撃滅を決意しました。
しかし、空軍の戦闘機は日本軍の爆撃により損傷してしまっていた為、
12月8日午後5時35分、空軍の援護なしにイギリス東洋艦隊Z部隊
は日本に奇襲をかける為にシンガポールの軍港を出撃しました。
イギリス東洋艦隊Z部隊は日本軍がアナンバス諸島の西の海に機雷
が沈められている可能性を予知し、アナンバス諸島の東側から進撃
しましたが、12月9日、日本軍の潜水艦伊65に発見されてしまいました。
この情報を掴んだ松永貞市少将(第22航空戦隊司令官)は、航空隊へ
出撃命令を出しました。しかし、この日は悪天候によりイギリス東洋艦隊Z部隊
を探し出す事はできませんでした。一方、イギリス艦隊も日本機に発見された
と思い、とっさに引き返した為、両軍とも相手を探し出す事はできませんでした。
12月10日午前0時52分、日本軍がクアンタンに上陸中という報告を
受けたイギリス東洋艦隊Z部隊はクアンタンへ向かいました。
この動きを掴んだ日本軍も航空隊を出撃させ美幌航空隊の爆装機8機、
元山航空隊九六陸攻隊16機(雷装)、鹿屋航空隊の一式陸上攻撃機26機が
「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」に対して次々と爆撃・雷撃を行い、
多数の魚雷・爆弾が命中し両戦艦は沈没しました。この時、
イギリス東洋艦隊司令長官:サー・トム・フィリップス大将・
戦艦プリンス・オブ・ウェールズ艦長のジョン・リーチ大佐は責任を取り、
「プリンス・オブ・ウェールズ」と一緒に沈みました。
この海戦は、当時の「作戦行動中の戦艦を航空機で沈めることはできない」
との常識を覆し、世界の海軍戦略である大艦巨砲主義
の終焉を告げる出来事となりました。また、この戦いにより、
日本軍21名、イギリス軍840名の命が失われました。 |
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第1話:太平洋戦争の原因(開戦の経緯)
補足:日本軍(旧日本軍)の階級・組織をまとめてみた
第2話:真珠湾攻撃(ハワイ奇襲)とは?
第3話:マレー作戦(マレー・シンガポール進攻作戦)とは?
第4話:香港の戦い(香港攻略・C作戦)とは?
第5話:マレー沖海戦とは?
第6話:珊瑚海海戦とは?
第7話:ミッドウェイ海戦とは?(敗因)
第8話:前編:ガダルカナル島の戦いとは?(第一次ソロモン海戦)
第9話:後編:ガダルカナル島の戦いとは?(第二次ソロモン海戦)
第10話:マリアナ沖海戦とは?
第11話:レイテ沖海戦とは?[神風特攻隊(特別攻撃隊)の誕生]
第12話:硫黄島の戦いとは?
第13話:沖縄戦(沖縄の戦い)とは?
第14話:日本本土空襲とは?
第15話:日本の降伏(ポツダム宣言受諾)とは? |
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