OKコラム⇒⇒⇒⇒⇒ ミッドウェー海戦とは?(敗因・経緯)
ミッドウェー海戦とは?(敗因・経緯)

太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦(南方作戦)において、援蒋ルート遮断し、

マレー(マレー作戦)、ビルマ(ビルマの戦い)、フィリピン(フィリピンの戦い)、

シンガポール(シンガポールの戦い)、ボルネオ・インドネシア(蘭印作戦)など

に勝利し、資源(原油、鉱物、天然ゴム等)を確保する事に成功した

日本は、短期決着を目指す為、戦線を拡大して、アメリカ機動部隊の

撃滅を目指していましたが、5月6日〜8日にかけて行われた

珊瑚海海戦ではアメリカ機動部隊のすべてを叩く事はできませんでした。

そこで、北太平洋のハワイ諸島北西にあるミッドウェー島を攻撃して、

アメリカ機動部隊をおびき出して撃滅しようとしました。

山本司令長官は日本の安全を守るためにはアメリカ機動部隊の撃滅以外

にはない
と信じていたのです。

山本五十六連合艦隊司令長官はミッドウェー作戦計画を開戦直後から

提案していましたが、大本営(日本陸軍の参謀本部・日本海軍の軍令部)

は強く反対しました。軍令部の永野修身総長は、日本の国力からみて

ハワイ諸島の攻略と維持など不可能
と判断し、むしろインド洋方面の

作戦を強化してイギリスを追い詰め、間接的に同盟国ナチスドイツを

支援することを構想していたのです。交渉は一時、暗礁に乗り上げましたが、

連合艦隊司令部の渡邉参謀は伊藤整一軍令部次長に直接連合艦隊の

ミッドウェー作戦案を説明し、審議を行い、1942年4月5日に、

永野修身軍令部総長の認可が出た為、ミッドウェー作戦は実行に移される

事となりました。旧日本海軍にとって第37回海軍記念日であった

1942年5月27日南雲忠一中将の指揮する赤城加賀飛龍蒼龍、4隻の

航空母艦を中心とする第1機動部隊は朝靄をついて広島湾柱島から出撃

しました。山本司令長官の新しい戦艦大和をはじめとする主力部隊は

二日後の29日、480キロ後から出撃しました。

参加兵員は10万人にも上り、日本海軍総集結の感がありました。

しかし、ミッドウェー作戦の概要は諜報活動と暗号解読によって

すでにアメリカ側に知られており、空母「エンタープライズ」・「ホーネット」・

ヨークタウン」からなるアメリカ第16機動部隊(レイモンド・スプルーアンス司令長官)

は日本軍を撃滅しようと待ち構えていたのです。

戦艦大和では、敵の呼び出し符号からアメリカ機動部隊が真珠湾を
出撃した情報を掴んでいましたが、日本の第一機動部隊ではその情報を
掴めてはいませんでした。また、戦艦大和からその情報を第一機動部隊教えると、
敵に居場所を教える事になる為、知らせませんでした。

日本とアメリカの機動部隊は日本時間、6月5日午前1時30分には

直線距離僅か240キロの位置で向い、一瞬の差を争う大作戦の幕は

今や切って落とされようとしていました。アメリカ機動部隊を発見できない

日本軍は6月5日午前1時30分にミッドウェー空襲隊友永丈市大尉指揮:

零式艦上戦闘機36機、九九式艦上爆撃機36機、九七式艦上攻撃機36機、

合計108機)を発進させました。日本時間、午前2時30分、先に

アディ大尉が操縦するアメリカの偵察機が日本空母を発見しました。

これを受けたレイモンド・スプルーアンス司令長官は午前4時過ぎに

攻撃隊発進を命令、第16任務部隊は次からなる117機の攻撃隊を

発進させました。しかし、この頃、日本軍は未だにアメリカ機動部隊を

発見できておらず、アメリカ機動部隊は近辺の海域にはいないものだと

思っていた為、午前4時15分、南雲司令部は艦攻に魚雷を装備していた

第一航空戦隊(赤城加賀)に対し、『本日航空機による攻撃を実施する

為第二次攻撃隊を編成せよ。兵装は爆装に転換
』と通知しました。

しかし、午前5時30分に偵察機:利根4号機より、『敵はその後方に

空母らしきもの一隻を伴う。ミッドウェー島より方位8度、250浬


との情報が入りました。この時、第二航空戦隊(飛龍蒼龍)を率いていた

山口多聞少将は「現状況は一分一秒を争う。第一次攻撃隊(友永隊)100機

を犠牲にしてでも敵空母攻撃隊の発進準備を急ぎ、

用意出来次第攻撃隊を出すべき」との考えから『直ちに攻撃隊発進の要ありと認む

南雲忠一中将に進言しましたが、南雲司令長官は、

1、九七艦攻への陸用爆弾から魚雷への転換は、短時間で終わる。水平爆撃の
命中率は悪く、急降下爆撃でも敵空母に致命傷を与えることは困難である。

2、第二航空戦隊(飛龍蒼龍)の九九艦爆の爆装は短時間で行える。

3、上空待機中の日本軍ミッドウェー基地空襲隊(約100機)の燃料が
尽き掛けており、これ以上待たせる事は出来ない。
貴重な機体と200名以上の熟練搭乗員を危険にさらすことは大問題である。

4、敵艦隊攻撃隊を護衛する零戦が、南雲部隊を守るために殆ど発進しており、
一度着艦して補給する必要がある。弾薬と燃料を使い果たした零戦隊を
護衛につけても意味がない。

5、戦闘機の護衛のない攻撃隊は、艦隊護衛戦闘機の餌食になることを
珊瑚海海戦や米軍ミッドウェー基地航空隊が実証している。南雲にとって、
大損害を受けることがわかっていながら「はだか」の航空隊を出すことは出来ない。

との理由から、兵装転換と日本軍ミッドウェー基地攻撃隊の収容を開始を

決意しました。しかし、日本時間午前7時22分に

クラレンス・マクラスキー少佐率いるエンタープライズ艦爆隊、

マクスウェル・レスリー少佐率いるヨークタウン艦爆隊の攻撃を受け、

空母「加賀」に爆弾3発命中、空母「蒼龍」に爆弾3発命中、

空母「赤城」に爆弾2発が命中し、第二次攻撃隊準備機や爆弾・魚雷に

誘爆して大火災
を起こし、航行不能に陥ってしまいました。

これにより、空母「加賀」の機関部員を含めて800名弱、

空母「蒼龍」の柳本柳作艦長以下准士官以上35名、下士官兵683名、

計718名と空母「赤城」の准士官以上8名、下士官兵213名の計221名

の命が失われました。この出来事に対して、草鹿龍之介参謀長

一切の人情を放棄して第二次攻撃隊を発進させねばならなかったが、

出来なかった
」との言葉を残し、源田実航空参謀は、

部下の生命を惜しんだために決定的な敗北に終わった」と

の言葉を残しました。ただ、日本の空母の中で「飛龍」だけはヨークタウン雷撃機の

攻撃を回避するため他の3隻の空母から離れていた為、攻撃を受けませんでした。

山口多聞司令官は午前8時に第一次波撃隊として小林道雄大尉指揮する

零戦6機、九九艦爆18機の計24機を発艦させました。第一次波撃隊は

アメリカの空母「ヨークタウン」へ爆弾3発を命中させました。
(この攻撃で小林隊長機を含む艦戦3機、艦爆13機を失いました。)

さらに、午前10時30分には第二波攻撃隊(零戦6機、艦攻10機)が発進

し、空母「ヨークタウン」へ魚雷2本を命中させ「ヨークタウン」は航行不能

となりました。(この攻撃で、艦戦3機、艦攻5機(友永隊長機含む)を失いました。)

しかし、空母「飛龍」も午後2時にアメリカ爆撃隊の攻撃により爆弾4発

が命中し、航行不能となってしまいました。

山口多聞司令官加来止男艦長と共に沈む「飛龍」と運命を共にした。

この戦闘でアメリカ軍:307名(航空機搭乗員:172名)

日本軍:3,057名(航空機搭乗員:110名)の方が命を失いました。

また、日本軍は主力空母を壊滅させられてしまい、当時、アメリカ軍の

2倍の戦力を有しながら戦略、戦術、用兵など全てにおいて

優位に立つ事はできませんでした。そして、ミッドウェー海戦以降はアメリカの

圧倒的な国力の前に各戦線で苦戦を強いられるようになります。
第1話:太平洋戦争の原因(開戦の経緯)

補足:日本軍(旧日本軍)の階級・組織をまとめてみた

第2話:真珠湾攻撃(ハワイ奇襲)とは?

第3話:マレー作戦(マレー・シンガポール進攻作戦)とは?

第4話:香港の戦い(香港攻略・C作戦)とは?

第5話:マレー沖海戦とは?

第6話:珊瑚海海戦とは?

第7話:ミッドウェイ海戦とは?(敗因)

第8話:前編:ガダルカナル島の戦いとは?(第一次ソロモン海戦)

第9話:後編:ガダルカナル島の戦いとは?(第二次ソロモン海戦)

第10話:マリアナ沖海戦とは?

第11話:レイテ沖海戦とは?[神風特攻隊(特別攻撃隊)の誕生]

第12話:硫黄島の戦いとは?

第13話:沖縄戦(沖縄の戦い)とは?

第14話:日本本土空襲とは?

第15話:日本の降伏(ポツダム宣言受諾)とは?
mixiチェック