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レイテ沖海戦とは?[神風特攻隊(特別攻撃隊)の誕生]

ミッドウェー海戦に始まり、1944年6月19日、6月20日に起きたマリアナ沖海戦でも

大敗を喫した日本軍はアメリカ軍に対して勝つ方法を見出す事が見いだす事が

できなくなっていました。1944年9月、マッカーサー最高司令官指揮する第7艦隊が

ルソン島南方レイテ湾に結集すると、日本側連合艦隊は捷一号作戦を発動、

残る全兵力を結集し、レイテ海域に進撃を開始した。

すなわち、小沢治三郎中将の率いる第3艦隊は、空母瑞鶴をはじめ航空戦隊を囮

としてレイテ沖の北方に進出して、敵の機動部隊をひきつけている間に、

栗田健男中将が指揮する第2艦隊がスリガオ海峡・サンベルナルジノ海峡を経由

してフィリピン奪還を目的としたアメリカ軍輸送船団を撃滅するという作戦でした。

ただ、レイテ沖に進出したアメリカ軍の機動部隊は700隻以上、飛行機は少なめに

見積もっても1千機以上の数を誇っていたのに対して、日本軍の連合艦隊は

飛行機がまったくなく、丸裸で敵陣へ突っ込まなければならない状況でした。

そこで、日本軍はアメリカ軍に勝利する為にマバラカット基地にいる第1航空艦隊、

100機に対して250キロ爆弾を積んだ零式戦闘機をもって、一機一艦を

叩く必死必殺の体当たり攻撃を敢行する命令が大西瀧治郎中将

(第1航空艦隊司令長官)より下されました。大西司令官の発言に対して、

玉井浅一中佐は、「日露戦争における旅順港閉塞の決死隊は必ずボートで

戻るように命ぜられ、ハワイ真珠湾攻撃の特殊潜航艇もまた、奇襲に成功すれば

帰還するはずであり、世界の戦史に決死隊の記録はあっても必死隊という

前例はない。人間と爆弾とを共に体当たりさせる必死隊は日本海軍70年の

伝統に汚点を残すものである。」と、強く反対しましたが、認められず

神風特攻隊(特別攻撃隊)は誕生する事となりました。
(大西瀧治郎中将は敗戦の翌日、特攻で戦死した旧部下と遺族に対して
死をもって償うため、介錯なしの割腹自決しました。)

1944年10月22日午前8時、ブルネイ湾を後に栗田艦隊の主力、戦艦「武蔵」、

「大和」、「長門」を含む27隻の艦隊は、パラワン島の西側からミンドロ島南端

をかすめ、サンベルナルジノ海峡を抜けてサマール島の東岸沿いにレイテ湾へ向かう、

およそ1900キロの行程に出撃しました。しかし、10月23日、午前1時16分に

潜水艦ダーターに重巡洋艦愛宕、摩耶を撃沈され、高雄を大破させられました。

10月24日にはアメリカ軍の索敵機が日本軍を発見し、

ウィリアム・フレデリック・ハルゼー・ジュニア大将を指揮官とするアメリカ第三艦隊から

第1次攻撃隊45機、第2次攻撃隊33機、第3次攻撃隊83機、

第4次攻撃隊65機を飛び立たせ、戦艦「武蔵」に対し、魚雷10本以上を命中

させ、武蔵を沈没させました。武蔵の艦長である猪口敏平少将も自決しました。

その後、栗田健男中将が指揮する第2艦隊は10月25日未明、

サマール沖で敵の艦隊を発見し、護衛空母ガンビア・ベイと駆逐艦ジョンストン

ホーエル、護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツを沈没させました。また、

栗田艦隊が敵艦隊を攻撃中に関行男大尉率いる零戦五機から成る

神風特攻隊が護衛空母セント・ローに突撃し、特攻機1機が命中し、セント・ローを

沈没させました。しかし、この戦いで日本軍は空母4隻、戦艦3隻、重巡洋艦6隻等

を失った上、当初の目的であった輸送船団を殲滅させる事ができず、

アメリカ軍のフィリピン上陸を許す事となりました。
(アメリカ軍の被害は空母1隻、護衛空母3隻、駆逐艦2隻等でした。)
第1話:太平洋戦争の原因(開戦の経緯)

補足:日本軍(旧日本軍)の階級・組織をまとめてみた

第2話:真珠湾攻撃(ハワイ奇襲)とは?

第3話:マレー作戦(マレー・シンガポール進攻作戦)とは?

第4話:香港の戦い(香港攻略・C作戦)とは?

第5話:マレー沖海戦とは?

第6話:珊瑚海海戦とは?

第7話:ミッドウェイ海戦とは?(敗因)

第8話:前編:ガダルカナル島の戦いとは?(第一次ソロモン海戦)

第9話:後編:ガダルカナル島の戦いとは?(第二次ソロモン海戦)

第10話:マリアナ沖海戦とは?

第11話:レイテ沖海戦とは?[神風特攻隊(特別攻撃隊)の誕生]

第12話:硫黄島の戦いとは?

第13話:沖縄戦(沖縄の戦い)とは?

第14話:日本本土空襲とは?

第15話:日本の降伏(ポツダム宣言受諾)とは?
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