香港の戦い(香港攻略・C作戦)とは? |
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1941年12月8日、アメリカへの真珠湾攻撃・マレー作戦(マレー半島進撃)と
同時に計画されたのが、香港攻略作戦でした。1937年の日中戦争開始後、
イギリスの植民地である香港は蒋介石の重慶政府が諸外国との連絡を維持する
ための窓口となり、物資の中継基地あるいは宣伝謀略の基地として
重要な地位を占めていた為、日本は、中国の諸外国との連絡・物資の受け渡し
を断つ為に侵略開始を計画したのです。
1941年12月8日午前3時、太平洋戦争開戦の知らせと同時に
マレー半島上陸成功の暗号電報を受けた日本陸軍第23軍司令官酒井隆中将は、
直ちに九龍半島の国境に集結していたおよそ4万の将兵に対し香港攻撃開始の
命令を出しました。ただ、香港を占領するには九龍半島中央部一帯の
要塞線(イギリス名:ジン・ドリンカーズ・ライン)を突破する必要がありました。
このジン・ドリンカーズ・ラインの防衛にあたっていたのが、
クリストファー・マルトビイ少将率いる香港駐屯軍(約13,000人)で、
イギリス本国軍、イギリス・インド軍、カナダ軍によって構成されていました。
1941年12月8日、第23軍飛行隊は啓徳飛行場のイギリス軍機
に対して航空第一撃を加え、空軍機と義勇軍使用の民間機あわせて12機が
炎上、2機が大破し全飛行機を使用不能とし、12月9日20時30分には
土井定七大佐の指揮下の若林東一中尉の率いる第10中隊は255高地の
イギリス軍陣地に突入し、3時間の戦闘の末、イギリス軍陣地を奪取しました。
酒井軍司令官は土井定七大佐の率いる連隊が無断で、戦闘を開始した
事に対して、激怒しましたが、これを機に全軍、戦闘を開始するように指示しました。
こうして、ジン・ドリンカーズ・ラインはわずか6日で陥落しました。その後、
日本軍は、九龍半島の貯水池から香港島への給水を断水し、さらに
香港島上陸作戦を開始し、12月21日にはニコルソン山中の貯水池を
爆破して香港市街を全面断水としてしまいました。こうして、
12月25日 17時50分、クリストファー・マルトビイ少将、香港総督である
マーク・ヤングは白旗を掲げ降伏しました。この日は、クリスマスでまるで
聖なる夜を祝うかのような、ろうそくの明かりの中でイギリス軍は降伏した事から
香港でこの日は「黒いクリスマス」と呼ばれるようになりました。こうして日本軍は
香港を占領し、占領軍の政府を作り、統治しました。この支配は1945年の
終戦まで続き、日本の敗戦により再度、イギリスの植民地となりましたが、
1997年7月1日、イギリスから中華人民共和国への返還されました。
この戦いによって日本軍 705人、香港駐屯軍 1720人の命が失われ
香港駐屯軍のイギリス人が5,000名、インド人が4,000名、
カナダ人が2,000名が捕虜となりました。 |
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第1話:太平洋戦争の原因(開戦の経緯)
補足:日本軍(旧日本軍)の階級・組織をまとめてみた
第2話:真珠湾攻撃(ハワイ奇襲)とは?
第3話:マレー作戦(マレー・シンガポール進攻作戦)とは?
第4話:香港の戦い(香港攻略・C作戦)とは?
第5話:マレー沖海戦とは?
第6話:珊瑚海海戦とは?
第7話:ミッドウェイ海戦とは?(敗因)
第8話:前編:ガダルカナル島の戦いとは?(第一次ソロモン海戦)
第9話:後編:ガダルカナル島の戦いとは?(第二次ソロモン海戦)
第10話:マリアナ沖海戦とは?
第11話:レイテ沖海戦とは?[神風特攻隊(特別攻撃隊)の誕生]
第12話:硫黄島の戦いとは?
第13話:沖縄戦(沖縄の戦い)とは?
第14話:日本本土空襲とは?
第15話:日本の降伏(ポツダム宣言受諾)とは? |
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