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日本本土空襲とは?

1944年5月、アメリカ軍の長距離爆撃機:B-29が完成し、マリアナ諸島が

アメリカ軍の手に渡ると日本本土に対する空襲が始まりました。すなわち、

軍需工場や日本の海上輸送を妨害する事で戦争の早期終結を

目指したのです。当初は、B-29の空襲は軍需工場を目標としたものでしたが、

1945年1月、カーチス・ルメイ少将が第21爆撃軍司令官に着任すると、

都市部に対して無差別爆撃を行うようになりました。代表的な空襲として

1945年3月10日:東京大空襲(死者約8万-10万。負傷4万-11万名)

1945年3月12日:名古屋大空襲(死者602名、負傷1238名)

1945年3月13日大阪大空襲(死者3115名)

1945年3月17日:神戸大空襲(死者2,598名、負傷者8,558名)

1945年4月15日:川崎空襲(死者1,000名、負傷者15,000名)

1945年5月29日:横浜大空襲(死者3,787人、重傷者1,554人)

1945年6月19日:福岡大空襲(死者902人)

1945年6月19日:静岡大空襲(死者1,952人)

1945年6月29日:佐世保大空襲(死者約1,300人)

1945年6月29日:岡山空襲(死者1,737人)

等、アメリカ軍の空襲は無差別爆撃空襲は数百回にも及びました。

結局、全国で200以上の都市が被災し、死者は33万人、

負傷者は43万人、被災人口は970万人
にも上りました。

さらに追い討ちをかけるように、

1945年8月6日:広島原爆(死者約20万人)

1945年8月9日:長崎原爆(死者約14万人)

が投下され、日本全土が壊滅状態となりました。

こうして、鈴木貫太郎首相は同日の最高戦争指導会議の冒頭で

「ポツダム宣言を受諾するほか無くなった」と述べ、日本は

連合国に対してポツダム宣言(無条件降伏)を受け入れる事となりました。

原子爆弾使用理由について・・・1945年7月26日にアメリカ合衆国大統領:

ハリー・S・トルーマン
イギリス首相:ウィンストン・チャーチル

中華民国:蒋介石主席の名において大日本帝国(日本)に対して、

「全日本軍の無条件降伏」等を求めた全13か条から成る宣言(ポツダム宣言)

が出されていましたが、鈴木貫太郎首相は記者会見でポツダム宣言を

「黙殺」し断固戦争完遂に邁進するとの声明を述べました。

そこで、日本本土での直接戦を避け、早期に決着させるために原子爆弾を

使用したとの理由がアメリカ政府より発表されています。
第1話:太平洋戦争の原因(開戦の経緯)

補足:日本軍(旧日本軍)の階級・組織をまとめてみた

第2話:真珠湾攻撃(ハワイ奇襲)とは?

第3話:マレー作戦(マレー・シンガポール進攻作戦)とは?

第4話:香港の戦い(香港攻略・C作戦)とは?

第5話:マレー沖海戦とは?

第6話:珊瑚海海戦とは?

第7話:ミッドウェイ海戦とは?(敗因)

第8話:前編:ガダルカナル島の戦いとは?(第一次ソロモン海戦)

第9話:後編:ガダルカナル島の戦いとは?(第二次ソロモン海戦)

第10話:マリアナ沖海戦とは?

第11話:レイテ沖海戦とは?[神風特攻隊(特別攻撃隊)の誕生]

第12話:硫黄島の戦いとは?

第13話:沖縄戦(沖縄の戦い)とは?

第14話:日本本土空襲とは?

第15話:日本の降伏(ポツダム宣言受諾)とは?
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